山古志村 「マリと子犬の物語」

画像

  68人が亡くなった新潟県中越地震から3年。全村避難した旧山古志村(現長岡市)で起きた老人と愛犬の奇跡の実話を基にした映画「マリと子犬の物語」(東宝系)のロードショーが12月8日から始まる。そのモデルで、村の災害対策本部員としても駈けずり回った役場の職員、五十嵐豊さんの「震災思い出ごはん」は、「炊き立てのごはんと暖かい味噌汁」だった。(写真はマリと五十嵐さん

☆マリが父の命を救ってくれた!

 五十嵐さんと偶然出会ったのは、この9月、フードジャーナリストの向笠千恵子さんに誘われて参加した新潟コシヒカリの本場、加茂市の農家「かやもり農園」の体験ツアーだった。今、一番の売れっ子料理人、野崎洋光さん(東京麻布「分とく山」総料理長)も一緒とあって約30人の参加者たちは、大張り切り。稲刈りに汗を流した後、美味しいおむすびの作り方を学び、穫れたて野菜のバーべキューを楽しんだ。

 おじいちゃん、おばあちゃんから孫娘まで一家を挙げての歓待。若き農園後継者、萱森敦之さんの仲間の地元農家との交流会も行われ、餅つき部隊として応援に来てくれたのが、五十嵐さんだった。

 マグニチュード6.8の中越地震の起きた2004年10月23日夕、震源に近い山古志村は、地すべりなどで壊滅的に破壊された。最初に五十嵐さん一家の物語を伝えた地元新潟日報紙(同年11月21日)によると・・・

 当時、五十嵐さんは、長岡市への出張の帰りで小千谷市にいた。山古志の自宅には、身体が不自由な70歳の父と当日朝、子犬3匹を産んだばかりの愛犬マリ(当時3歳)がいた。帰る道はすべて絶たれ、連絡も取れなかった。

 父は無事か、家はどうなったのか。村の外にいた職員と合流、長岡市に村の対策本部を作り、情報の入手や救急車の手配に走り回った。2日後、全村避難。ヘリで救出された父は再会できた息子に「マリが救ってくれた」と涙で語った。

 倒れたタンスの下敷きになり身動きが取れなくなった父は、一度はあきらめかけた。そこへマリが来て震えながら顔をなめた。ガラスで顔を切りながらも、心配そうに子犬と父の間を往復する。愛犬の献身的な姿に気持ちが奮い立った。

 五十嵐さんがマリと会えたのは、初めて帰村した11月10日。無事でいてくれ、と祈りつつ家に近づき、名前を呼ぶとマリがぶつかるように飛びついてきた。子犬3匹も無事。無人の村で半月以上、主人の帰りを待ったマリは、その日、五十嵐さんから離れようとしなかった・・・。

 
 この奇跡の物語は全国に波紋を呼んだ。テレビに取り上げられ、絵本『山古志村のマリと三匹の子犬』(文芸春秋刊・写真下)になり、アニメになり、そして映画化された。

画像


☆何より温かい食事がほしい! そして災害用のキッチンカーを
 
 山古志村は「平成の大合併」で長岡市となり、五十嵐さんは現在、財団法人「山の暮らし再生機構」に出向、震災地域全体の復興にかかわるディレクターとして活動している。

 一家の体験談が大きな反響を呼び、映画にまでなったことについて「いろいろ脚色されていて・・」と苦笑するばかりだが、震災時の混乱の記憶は今も生々しい。

 「人口2200人の村に2300人分の応援食が来ました。一番、最初に届いたのは菓子パンなどのパン類。次いでおにぎりが届きましたが、被災者が一番喜んだのは温かいごはんと味噌汁でした。メニューの中で人気ナンバー1は、温かいカレーライス。余震におびえる寒空の下、温かい料理が一番の慰めと励ましでした」

 五十嵐さんは、震災後、各地の震災関連シンポジウムなどにパネラーとして招かれ、震災体験を語る機会が多い。   
 「地震国日本では、いつ大きな震災があるかわからない。そのときに備えて調理設備を搭載した屋台風の軽トラックのような車を開発して、常備しておきたいですね。言ってみれば、キッチンカー“ぬくもり号”。災害があればボランティアとともに全国どこへでも飛んで行って、温かいごはんや味噌汁、スープを提供するシステムを作りたいのです」

 五十嵐さん(写真下)父子は、震災以来、不便な仮設住宅暮らしを強いられていたが、山古志村に再建していた家が年内に完成、マリとともにふるさとの村で新年を迎える。3匹の子犬たちもそれぞれもらわれて幸せに暮らしている。

画像


 ☆コメント歓迎します。前の記事にもどうぞ!