奔放アーティストの胸キュンごはん

 
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 世の中に多芸多才な人は多いが、これだけ幅広い女性はそうはいないだろう。書家でエッセイストの小宮求茜(きゅうせん)さん(写真)。幽玄の「能」から激しい「ロック」まで。どこまでが仕事か、どこからが遊びか?自由奔放なアーティストは今日もカオスの街、東京を行く。


☆ 書、能、俳句からロック、ダイブまで
 この10月、かの六本木ヒルズから近い西麻布の隠れ家風深夜バーで「WALLART展 墨色のCHAOS」という書の個展が開かれた。赤錆色の壁に、畳2枚分ほどの大きな不織布が何枚もかかっていて、ディフォルメされた漢字が一文字ずつドカンと書かれている。「書」というより激しいパフォーマンスの世界である。

 元々はたおやかな「かな文字」の書家。細い筆で連綿と書く仮名の繊細さを追う一方で、太い筆を一気にぶつけるダイナミックな作品も次々発表してきた。最近は、ベネチア・ビエンナーレ芸術祭にも招聘されるなど注目のコンテンポラリーダンサー、森山開次さんの舞台美術にも登場して賞賛を浴びた。

 「能」にも通じている。観世流「銕仙会」を中心に、流派を問わず現行曲の約二百番組を見尽くした。八世観世銕之丞さん(人間国宝)の芸術選奨文部大臣賞、日本芸術院賞受賞記念の引出物の舞扇を制作したことがあった。白地の両面に「幽」「花」と「色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける」の小町の歌。歌舞伎役者の中村富十郎さんが気に入って素踊りの時に使用したとか。

 俳句は宗匠なし制約なしの自在な句会。聖女という俳号で句集も編んだ。 能と書を詠った句に

 定家葛おのが呪縛を知らざりき(定家)
 盲ひたる手に余りけるこぼれ梅(弱法師)
 囀(さえず)りや一気呵成の線を引く
 西行を書く日落花のしきりなり

 もっとも意表をつく顔は、アーティスト仲間と組んでいるロックバンドのボーカル。強烈なビートサウンドの大音響のライブを年に3~4回、鋲を打った革ジャン姿、スパイラルパーマの髪を振り乱して歌う。静謐な日本の伝統芸能も強烈なサウンドのアメリカ音楽も、この人にとっては同一線上にある。ほかにスキューバダイビングなど。親しい友人たちもあきれるほどの好奇心はとどまるところを知らない。
 
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☆思い出」は代々伝わる祖父と祖母の味
  さて、このマルチ才女の「思い出ごはん」は、というと、意外や代々伝わる祖父と祖母の味だという。

  祖父、岩岡巽氏は撮影技師(カメラマン)。日露戦争時、日本が中国・旅順を攻略した後、ロシア側のステッセル将軍と乃木希典将軍の「水師営の会見」が行われたが、そのとき撮影に携わったという。

  東京根岸で「岩岡商会」という写真や記録映画などを撮る撮影所を経営していたが、大正12年の関東大震災のとき、居合わせたスタッフ総出で直後の惨状をいち早く撮影した。震災直後の生々しいフィルムとして現在残っているのは、すべて岩岡商会撮影のものだそうだ。

 祖父も祖母もとっくの昔に亡くなったが、今も元気な母の話によると、その岩岡商会の全盛時代、昼時には働いている人以外にも食客が何人も来てそれは賑やか。そのころ、毎年冬になると白菜を山のように漬けていた祖母の得意料理に「鱈(たら)昆布のお汁」というのがあった。、豆腐、切り昆布を塩味で煮たさっぱりした料理だが、よい出し汁で冬場は身体が温まり好評だったという。

 もうひとつ、三代に渡ってバトンタッチされている家庭料理もスープもの。祖父が海外でご馳走になり、美味しかったからという事で帰国後自ら台所に立って再現したものだが、牛肉と大ぶりのジャガイモを塩、胡椒でコトコト煮ただけのシンプル料理。少し煮崩れたジャガイモとスープの味わいがよくマッチした。

  「私は、どちらかというと食べ物へのこだわりはないほうですが、祖父と祖母が伝えてくれたふたつの素朴な料理を作るときは、ちょっとばかり過ぎてきた“歴史”を感じてしまいますね」
  おかっぱ頭の少女時代にもどった孫娘は「我が家」の味に胸をキュンとさせながら遠い昔に思いを馳せるのである。

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