亡き母に捧げる尺八の音

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 わびしげで、重厚で、ときには竹林をわたる風のような音・・・。猛暑が続いた8月の某日夜、東京・四谷の駅前飲み屋街の地下にある古いスナックで尺八のミニ・コンサートがあった。コンサートといっても奏者も聞き手も常連客。ジャズまで飛び出す現代尺八の斬新・多様な世界を楽しんだ。

☆ジャズから演歌までレパートリー700曲

 奏者は、都内の大手企業に勤めるサラリーマン、舟曳(ふなびき)隆志さん。写真のようなカジュアルな出で立ちでパソコンの譜面を見ながら吹く。いきなりカーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」で始まり、尾崎豊の「I Love You」、ペドロ&カプリシャスの「ジョニーへの伝言」。およそ尺八とは縁がなさそうな元曲が渋い音色によく合う。

 レパートリーは700曲。リクエストに応じて「悲しい酒」「北の宿から」「兄弟船」などの演歌。ジャズ、シャンソン、フォーク&ニューミュージック、童謡も次々飛び出す。途中で「これだけはどうしても」と伝統的な「虚無僧尺八」の「本曲」を数曲。動と静、陽と陰。アマチュアとは思えぬ表現力とレパートリーの広さに、止まり木の客たちは酒を飲むのも忘れて聞きほれる。

☆老人ホームの星
 舟曳さんは子供のころから音楽好き。中学からバイオリンを習い、大学時代は学生管弦楽団、社会人になってから市民オーケストラに入って活動していた。あるときふと聴いた尺八の音に惹かれ、古典尺八(虚無僧尺八)の若手第一人者、善養寺恵介さんに弟子入りした。

 修業8年。レパートリーをどんどん広げていたころ、父が老人ホームに入り、見舞いを重ねるうち、尺八ボランティアを思いついた。
 「尺八の音は人間の声に近い。老人ホームのリクエストのベスト3は、北国の春、さざんかの宿、見上げてごらん夜の星。最後は必ず大合唱になりますが、みんな涙を流しながら聞いてくれます」
演奏の合間のトークも板についてきた。
「いよっ、老人ホームの星!」
熱演は深夜まで続いた。

☆二人の女性に引き継がれた母のハンバーグ

 尺八は江戸時代以前からあった日本の代表的な木管楽器。その長さが一尺八寸(約54センチ)であることからその中を取って「尺八」。元々は普化宗という禅宗に属した虚無僧が吹奏して回った。
以下は舟曳さんの、尺八とそれにつながる思い出ごはんの話である。
 
  虚無僧の「本曲」は本来、他界した人を弔うお経のようなものです。虚無僧たちは、葬式を行わず、読経しない代わりに一心不乱に尺八を吹き続けました。亡くなった方との精神世界でのつながりを求めるかのごとく、「一音成仏」の気持ちで竹の響きに身を任せるのです。

 私の母は17年前、私が30歳のときに他界しました。まだ56歳の若さでした。母の元で暮らしたのは高校卒業まででしたが、母の手料理に関する思い出はいろいろあります。例えば天ぷら。一度にたくさん作るので一週間ぐらいは毎日天ぷらを食べていた強い思い出があります。

 結婚して、どうしても母から私の妻に教えてもらいたい手料理が二つありました。ひとつは好物の「イカの塩辛」。もうひとつはハンバーグ。肉厚、ボリューム満点でケチャップソースをトロリとかけたやつ。おかげで妻は母とまったく同じ美味なハンバーグを作れるようになりました。

 あるとき、結婚して別の町に住んでいる姉(ピアニスト、さいとうけいこ)の手料理をご馳走になったことがありました。なんとハンバーグでした。味も母が作ってくれたものと全く同じ。つまり、この世に2人の女性が亡くなった母の味を引き継いでくれているということを知り、思わず涙が出たことを覚えています。

☆命日に尺八を吹く
 私は身近な親類、友人の命日を自分専用の過去帳に記しています。月に一度はその過去帳をひもとき、亡くなった方をお弔いするために尺八の本曲をひっそりと吹くようにしています。母が亡くなった3月の命日には、もちろん吹いています。無心に吹いているとふと母の声をもう一度聞きたいなと思うと同時に懐かしい手料理の味や匂いや色合いが脳裏に浮かぶのです。

         
 人気ミステリー作家、内田康夫の浅見光彦シリーズに『喪われた道』という虚無僧ものがある。この秋、テレビドラマ化され、舟曳さんも虚無僧役で出演する。天蓋と呼ばれる深編笠をかぶるため、顔は出ない。


☆文中の「善養寺恵介」をクリックすると尺八音が試聴できます。
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